母の入院(1)

つい先月(2013年4月)のできごとです。

ある日の早朝のことでした。まだ5時くらいのことだったでしょうか?
母(通称:おかー)の「吐血したから、救急車を呼んで」という言葉で起こされました。

確かに母が手にしているティッシュにはわずかですが、血がついていました。
まだ、少し出るということでした。

母もこれまで心痛が絶えない状態が続きました。

地震での避難生活もそうです。
また、うちはみんなそれぞれ問題を抱えています。
平穏で穏やかな生活を送っているまともな人は誰もいません。

父(通称:おとー)はアル中で施設に入居中。
ボクはこの歳でも仕事が決まっても辞めてしまったりして、ふらふらと地に足がついていません。しかも未婚。

きっとストレスから何かの病気になってしまったのでしょうか?

吐血するくらいだからきっと何か大きな病気になってしまったに違いないと思いました。

あー。これからいったいどうしたらいいのだろうか?

借上げ住宅は住宅地です。
他の家ではまだ寝ているでしょうし、それに目立ちますから消防に電話した際には「近くに来たらサイレンは消して」とお願いしました。

母にも出かける準備をしてもらって、その間ボクは外で救急車が来るのを待っていました。

なかなか来ません。だいたい10分くらいは待ったと思います。
遠くでサイレンが聞こえ、じきに救急車を確認しました。

母も普通に歩けるようです。一緒に乗り込むと母の状態を説明し、母が袋に入れて持ってきていた血のついたティッシュを見せました。
「遠くてもいいからできるだけ大きな病院にお願いします」とお願いしました。

ふと、目から涙がこぼれそうになりましたが耐えました。

1人の救急隊員が病院に受け入れてくれるか連絡している間に考えられる病気について話してくれました。
あくまでも予測ではあるものの、吐血するからには肺結核などの肺の異常ではないかということでした。
腸や胃からであれば下に出てく行くと思います。ということでした。

受け入れ先は仙台市の厚生病院に決まりました。

走っている間にも救急隊員の方はいろいろ話をしてくださり励ましてくれました。

病院につくと母の検査が始まりました。
CTやレントゲンをとったり、血液検査をしたり。

たぶん8時くらいまで検査は続きました。とても長い時間に思えました。

ふと思い出しました。

あっ! 目覚まし時計。タイマーを切ってきませんでした。今頃、ベル付きの大音量で鳴る目覚まし時計が5個鳴り続けているのだろうなぁ。いい近所迷惑だなぁ。どうしょうなどと考えていました。

トイレに入ってふと鏡を見ると、髪がぼうぼうで、うっすらとヒゲのはえたジャージ姿の中年男が映りました。
あっ、起きたままで来ちゃった。後の祭りです。

あまり深刻に考えるとみじめで辛くなってしまいますので、こんな時だからこそなるべくそんなくだらないことを考えていました。

母の検査が終わりました。

結果は原因不明という事でした。
とりあえず入院して検査をし、まだ出血しないか様子を見るということでした。

母も割と落ち着いていました。
結核かもしれないということでしたので個室で隔離するそうでした。
入室の再は当然マスク着用でした。

母に必要な物を聞いて、入院の準備をしてから午後また来ることにしました。

医者に現状を説明してもらいましたが、やはり原因不明ということでした。

ボクは入院の手続きをし、とりあえず家に帰ることにしました。

風貌からして電車の中で浮浪者と間違われないか心配しましたが大丈夫でした。

でも、いったいホントどうなってしまうのでしょうか?

母はもはや再び富岡町の自宅には帰れなくなってしまうのでしょうか?
これからは、ご飯はだれが作ってくれるのでしょうか?
ねこ達の世話はどうしたらいいのでしょうか?

いろいろな不安が頭をよぎりました。

つづく

 

 

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