「防護服」

はじめての一時帰宅がいつだったかは覚えていません。

ただ、震災のあった年の初夏から夏あたりだった気がします。

当初の防護服はかなり厚手のものでした。
警戒区域に入る際には、頭にはヘアキャップのようなものをかぶり、防護服上下を着用し、くつの上から袋のようなものを被せました。
首からは線量計。

ボクは下はジャージ、上はTシャツで行きましたが、帰りは全身汗びっしょりでした。
Tシャツを絞れば汗が落ちるほどでした。
ボクは次からは着替えを持っていきました。そういう人は多かったと思います。

そんなで何回か一時帰宅が実施されました。
3ヶ月に1度程度のペースだったと思います。

数回後には防護服も簡易化されていきました。

長袖、長ズボンであれば防護服も着なくてもいいようになりました。
でも防護服も薄手のものになりましたので、ほとんどの人は着たのではないでしょうか?

薄手の防護服は不織布で作られています。
後ろが透けて見えるほど生地は薄いです。

放射線を遮るというよりは細かい放射性物質が体へ付着するのを防ぐためのような気がします。

現在も一時帰宅の際は無償で提供されています。

夏用の防護服

写真で丸く写っている部分も穴はあいていません。
へこんでいる感じになっています。

 

 

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