斎理屋敷へぶらりひとり旅

昨日は丸森町にある斎理屋敷にひとりでぶらっと出かけました。

借上げ住宅から1時間程度の道のりでしょうか?

宮城県は梅雨入りし小雨が降っています。
でも、ボクは雨の日がすきです。
特に梅雨時期のしとしと雨が。

気持ちがとても落ち着きます。

ボクにとってはまさにお出かけ日和です。
古い屋敷やお城などを見学するときは最適のシチュエーションです。

自宅を10時半くらいに出ました。
まずは近くの会津っぽでラーメンを食べ腹ごなしをしました。

のんびりのんびり、全くいそぐ旅ではありません。
裏道を音楽を聴きながらのんびり走ります。
ボクは最近はJUJUの曲をよく聴いています。

今回は軽トラで出かけましたがツイーターも付けました。
それで、軽トラですが割といい音を奏でてくれます。
サンバーはリヤエンジンなのでエンジンが遠いです。車内の静粛性にも定評があります。
そういった面では音楽を聴きながらのドライブに向いています。

途中、山を眺めてみると小雨の中、山には雲がかかり、田園風景がとてもさえていました。

斎理屋敷に到着しました。
平日なので人はまばらです。
今はチケットは復興応援ということで500円で買えます。

まず入り口の左にある「嫁の蔵」に入りました。
1階はかつて使われていた食器が展示してあります。
2階は当時の部屋が再現してありました。

嫁の蔵のとなりには「石風呂」があります。

湯船も石造りです。
なんでも、夕方入るためには朝から準備しないといけなかったそうです。

次に向かったのはメインの建物の「居宅」です。

玄関を入ると「いろり」があります。
昔ながらの自在鍵が天井から下がっています。

今は初夏。
季節柄か いろりに火はくべられていませんでしたが、以前来たときは寒い時期だったのか薪がくべられていたのが印象的でした。

靴を脱いで座敷に上がってみます。
今は切り絵の展示会が催されていたようでした。

とてもきれいな作品が多かったです。

少し急な階段を2階に上がってみるとあることに気づきました。
それは吹き抜けです。

吹き抜けの板は開け閉めできる可動式のようでした。
きっと暑い夏は開放的に開けておいて、寒い冬は暖が逃げないように閉めておいたのだと思います。

2階は当時の文物などの資料が展示してありました。
当時は何の部屋だったろう?

昔の人の食事は質素だったようです。
麦や大根の入ったごはんに、味噌汁、漬物など

ただ斎理屋敷の奉公人は当時は貴重品だった白米をいくらでもおかわりできて、魚の煮つけなども食べられたようでした。
当時としてはご馳走だったのではないでしょうか?

斎理屋敷のダンボ(主)は奉公人をとても大事にしていたようでした。
良く食べる奉公人は良く働くという考えもあったようではありますが。

(右は当時の一般家庭の食事の例、左は斎理屋敷での一般的な食事の例)

それに、当時は貧しく座布団に座るということもなかったようです。
でも奉公人は柿剥きの際、各自に座布団があてがわれたそうです。
ダンボの奉公人への気配りを感じました。

ベランダ(当時はなんて言っていたのだろう?)に出てみました。

斎理屋敷では時代と共に営業品目は変わったものの、養蚕や、みそ や しょうゆの製造販売で財を成していったようです。
多い時は20人ほどの奉公人がいたそうです。
農地解放の時まで多くの奉公人をかかえ、農地解放のあとはダンボとその奥さんは質素に生活していったそうです。

次に向かったのは「業の蔵」です。

1階にはいろいろな農機具や奉公人を含む屋敷中の人の食事を作るための調理用品など展示してありました。
大勢のご飯をつくらないといけなかったから大変だったと思います。

2階は帳簿や古銭など展示してありました。

隣の「住の蔵」はどんなものを展示してあるのでしょうか?
向かいます。

ここは昔、男子の奉公人の住まいにも使われていたようでした。

2階に上がると壁にはそうした奉公人が書いたと思われる落書きが多数見受けられました。

南側にはふみ机。
両壁は2段ベッドのようになっていました。

展示物の中で1つ心に残ったものがありました。

貧しい者に対するダンボの優しさが感じられました。

でも、ただ無条件に小遣いとしてあげるのではなくあくまでも労働の代価として置いてあった点が粋な取り計らいだと感じました。
そういう事から労働の大切さや他人への優しさを学んだと思います。
それにあくまでも労働の代価だからよけいな気も遣う事もなかったと思います。

割と若いボク(実際は中年オヤジですが)が書くのも変ですが、昔の日本人の心は温かかった。

昔の医者も貧しいものからは治療費を取らなかったとか。
昔の学校の先生は貧しい生徒がいて弁当を持ってこられない生徒がいるとこっそり机の中に食べ物を入れてあげたりと。
確か宮沢賢治の作品にそのような事が書いてあった気がします。

昔の日本人は貧しくても今の日本人よりも心は豊だったのではないでしょうか?

今の日本では教師が女子学生を隠し撮りしたり、情けなくなります。
なんでこんな風になってしまったのでしょうか?

日本の良き伝統が薄れていくことはとても残念です。

それでも今回の震災の時も明らかになりましたが、他の国民と比べればまだまだ今の日本人も捨てたものではありません。
多くの人が大変な時も辛抱強く秩序を守りました。助け合いました。

そして日ごろから強要されなくても気が付けば誰かが掃除をし道もきれいに整えられています。

最近自分も日本人であることを誇りに感じます。

次は「新屋敷」です。

洋風の建物になっています。

とても美しい建物です。

暖炉もすばらしいです。

1階はダンボが趣味で集めたいろいろな物が展示されてあります。

目を引いたのは。

OTOMO製の自動車です。

OTOMO社って今は廃れてしまったのでしょうね?
仕様書とカタログまで残っていました。

なんでも丸森町では病院の次に買ったのだとか。

今でももし残っていたらすごいかったです。

なかなかレトロでかっこいい。
スーパーセブンに似ています!

でも当時は舗装されていなかったから乗り心地は最悪だったそうです。

2階は当時の街並みが再現されてあり、当時の写真も多数見られました。

昔の消防車。

次に向かったのは「童の蔵」です。

展示してあるのは懐かしいおもちゃ達でした。
竹とんぼ、昭和初期のものと思われる戦闘機の精巧な模型、凧。
2階には雛人形の写真など。

最後にのんびり庭を散策してきました。

小雨の降る中とても情緒あふれていました。

右に居宅を望む。

「屋敷神」

池。
覘くとたくさんの錦鯉がエサ欲しさに近づいてきました。

向こうに見えるのは居宅。

庭の中ほどの南寄りには東屋がありました。

少しのんびりしようと座ってみると。
何か雫の落ちる音が聞こえました。
「水琴窟」が仕掛けてあるようでした。
梅雨の時期の日本庭園にふさわしい音色を奏でていました。
少ししんみりしてしまいました。

東屋。

石造りのモニュメントがありました。
観賞のためのものと思われます。

きれいな石がはめこんであるみたいなので近づいてみました。

ビー玉がはめこんでありました。

とても充実した一時を過ごすことができました。

 

 

 

 

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