母の病気を治してほしいと慶応大学病院の敷居をまたいで3ヶ月が過ぎました。
夏も過ぎ紅葉の季節も終わりを迎えました。
東北地方はもうすっかり冬支度です。いつ雪が降ってもおかしくはありません。
数日前、慶応大学病院のイチョウは丁度見頃のようでした。
あれからも打ち合わせのために何度も日帰りで東京、名取間を往復しました。
すっかり首都高の道も覚えてしまいました。
そして、カテーテルによるバルーン治療を施してもらえることが決定しました。
ただ、難しい治療方法で20人に1人の割合で生きた状態では家には戻れなくなるそうです。
肺の血管はもろいそうです。それを無理に広げるような治療方法なので合併症が怖いそうです。
それでも、治療をしなければあとどれくらい生きられるのかもわかりません。
治療をしなければ、末期の大腸がんよりも生存の確率は低いそうです。
治療をしてもらえるだけ幸いでした。
そして、先週の金曜日、カテーテルによる検査が実施されました。
カテーテルの検査も危険は伴います。
100人に1人は亡くなるそうです。
首の血管から肺に向けてカテーテルを入れて肺の圧力など検査します。
局所麻酔です。
木曜日の朝早く病院に向かいました。4時には家を出ました。
それでも渋滞に巻きこまれ、着いたのは11時でした。
その日はCTや血液検査があったようです。
治療は長丁場。そんなにも仕事も休めないからボクは次の日は仕事をこなすために名取へ帰りました。
次の日になりました。
ボクは普通に仕事に行きましたがとても心配でした。
きっと検査は午後なのだろうと思っていました。
ところが11時位に「無事に終わりました」とのメールがきました。
痛みもそんなになかったそうです。
ボクが手術した時は麻酔はとても痛かったです。注射の最中は指の先までしびれるような激痛が走りました。
医療は発達していて、今はあまり痛みはないのかな?
とりあえずホッとしました。
次の日には退院できました。
今度は検査ではなく、バルーン治療です。
来年の2月です。
危険の伴う治療になります。
でも、結果がどのようなものになるとしてもボクは決して後悔はしません。
治療をしてもらうことは、親と決めたことですから。
そして、わかってきたのはやはり避難生活の過酷さです。
足に大きな血栓があるそうです。それが肺に飛んだ可能性が高いと・・・。
結局、こんな原発事故がもたらした避難生活がなければ母も病気なんかにはならなかったハズ。
ずっと狭い部屋に閉じ込められて畑仕事もできません。当然の結果ともいえます。
今年ももう少しで終わります。
大変な一年でした。
ボクも体調があまり良くない時があります。
今日は風邪をひいてしまい、午後は仕事を休みました。