新たな住居と、新たな命、そして最後に・・・

去る4月28日、まだ新居のリフォームは終わっていませんが引っ越しました。

そして、つい先月の5月10日に無事妻は出産を終え新しい家族が増えました。

 

7月には母もボクたちが長らくお世話になった借り上げ住宅も引き払う予定です。

将来はどうなるかわかりません、しかし、しばらくは母はボクたちと一緒に住む予定です。

こうして、間もなく原発事故による7年に渡る避難生活も終わりを迎えようとしています。

この7年間で失ったものと得たものと、そして失った命と新たな命と家族と。

時は流れ命は新たなものへと受け継がれていきます。

ボクもこの時にこの時代に生まれ、色々なことを経験し、やがては消えていきます。

たまたま生きていた時に未曾有の大災害を経験しました。

今は色々な想いが交錯しています。

これからはようやく再び自分自身の家で生活することができます。この7年間人生で初めて借家で生活しました。それはボクにとってはとても辛い日々でした。幸いにも自分の家族の家にしか住んだことのないボクにとって自由のない日々でした。

好きな音楽を大きな音で聞くこともできませんでした。趣味の車いじりもできませんでした。縁側でのんびりと自然をながめることもできませんでした。

さらにはこの2年間、週末の度に、リフォームや荷物の移動の為に富岡町の家、借り上げ住宅、宮城県北の新居を行ったり来たりで休息をとった記憶もありません。

自分もようやく平穏な普通の生活を取り戻すことができます。この7年間の避難生活で平凡な普通の生活こそがかけがえのない幸せであることを知りました。しかし、その普通の生活を送り続けれことが難しいことなのです。

 

 

最後に・・・

現在では風力発電や地熱発電の活用も検討されるようになっています。個人宅での太陽光発電もある程度は普及しています。

電力を供給するために本当に原発は必要なのだろうか?

確かに原発は地元の発展に寄与してきました。

しかし、今回の原発事故では双葉郡の全域で取り返しのつかない被害が生じました。

東電の上層部の一部の人間の利権や、一部の政治家のエゴのために弱者が犠牲になるのは正しいことなのだろうか?

例え首都圏に安定的に安い電力を供給するという使命があったとしても、地方を犠牲にしても構わないのでしょうか?

きっと、もはや原発事故は風化し、被害にあった当事者でなければその悲惨な結果に目を留めることも少ないのではないかと思います。

でも、あれから7年たった今でさえも、地元に目を向ければその負の影響はまだ収束していません。

そして、地元の一人一人の人生に目を向ければ、そこには悲しい現実があるのです。

故郷で穏やかに命を全うできなかった大勢の方、かつて漁業や農業に携わっていたものの生計の手段を奪われてしまった方もいます。そして、学生のみなさんだって犠牲になったのです。ある女子高校生のコメントには「一番キラキラした時を奪われました」とありました。

お年寄りから若者まですべての人が犠牲者になったのです。

そして、決して忘れてはなりません。

原発事故で被害を受けたものは、「人」だけではないのです。

現状の苦しみに対して声を上げることも、主張することもできない、そして、その地域から逃れることもできなかった多くの「小さい命たち」も犠牲になりました。

だれもいなくなった家の中で食べ物も尽き、だれにも看取られることもなく静かに息を引き取った多くの ねこ たち。ひもにつながれたまま身動きもできずに寒さと飢えに苦しみぬいて死んでいった多くの犬たち。

きっと現実はもっともっと過酷で残酷なものだったに違いありません。

そして、放射性物質をまきちらし、地球の土壌を広範囲に汚染させました。海にも何度も、高濃度の冷却水を排出しました。地元ではまだ地下水を活用している家庭もありました。しかし、地下水ですら安全ではなくなりました。

ごく一部の人間の利権のために地球を破壊する権利があるのですか?

こんなにもたくさんのものを犠牲にしてまで原発を稼働させる価値はあるのでしょうか?

皆さん自身で真剣によく考えてください。

幸いつい先日、福島第二原発の廃炉も決まりました。

世の中には理不尽なことであふれています。個人の力ではどうしようないこともあるのです。その時、単なる個人は全くの無力です。

ボクは今回の原発事故でそのことをいやというほど味わいました。

どうかいつまでも犠牲になった大勢の人や「小さな命」を忘れないでください。

それがボクの最後の願いです。

 

2018年6月17日 記

 

おわり

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