彼女とその家族との交流

先回のフィリピンへの渡航では様々な現実を目の当たりにしました。初めての海外、初めてのフィリピン、初めての出会い。かなり刺激のある旅になりました。

そして、帰国後も彼女とのメールは毎日毎日続き、二回目の渡航へとつながっていきました。

先回の渡航の際の大量のお土産は松橋に促されて準備したものでした。でも、フィリピンへの二回目の渡航の際は、違いました。

ある時、彼女の夕食の写真を見せてもらいました。
そこに写っていたのは、ライスと目刺しのような魚だけでした。
夕食

ボクは、きっとこれが現実のフィリピンの人々の通常の食卓なのだと実感しました。彼女とその家族には、もっと栄養のあるきちんとした食事をしてほしいと考えました。

だから、二回目の渡航の際は自分の意志でお土産を準備しました。

フィリピンでは、お茶は高価だと聞いていたので、緑茶と、日本の食べ物も食べて欲しいと思ったので、のりも入れました。それからフィリピンへのお土産としては定番のシーフードヌードルも入れました。

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きっと、喜んでくれるハズ。

チケット2

2017/ 5/ 4 13:23

そして、数週間ぶりに彼女達とマニラで再開です。

二回目の渡航でははじめから松橋とは別行動を希望しました。

フィリピン到着初日は、マニラで彼女との結婚に必要な手続きを行いました。この際に、松橋から結納金の50万円をだまし取られました。

マニラのホテルから(マニラのホテルからの早朝の眺め)

次の日の午前中は、初めて彼女と二人で街を歩きました。それまでは、松橋が絶えず監視していました。

今回は、手をつないで一緒に歩いても何も違和感はありませんでした。恥ずかしいとも思いませんでした。

マニラを歩いてみると日本にもあるお店も見かけました。

セブンイレブン、ケンタッキー・フライドチキンなど。ダバオのデパートでは、ダイソーすらありました。

また、フィリピンを走る日本車の多いことと言ったらありません。ほとんど日本車です。軽トラを改造した営業車もたくさん走っています。

フィリピンと日本との係わり合いはとても強いのだと感じました。

ただ、マニラは危険です。特に日本人にとっては。だから、ボクはボディガードである彼女の手をしっかり握って歩きました。

昼食は彼女と一緒にハロハロとチキンの照り焼きを食べました。とてもおしいくいただきました。何よりも、傍らで一緒に食べてくれる人がいるのは大きな意味がありました。

また、その日の午後も松橋とは関わりたくないので、彼には彼女の調子が悪いと言ってホテルに留まりました。彼女のお姉さんも買い物に出かけるというということで、泊まっている部屋は別ですが、その日の日中は同じ部屋で二人で過ごすことにしました。

夕食は彼女のいとこの 「 ゲイ 」 も一緒に焼き肉をいただきました。4人で約5,000ペソの支払いでした。日本円で約10,000円です。日本人でも高いと感じる値段でした。お店にもよるのかもしれませんが、フィリピンの庶民だったらきっと焼き肉はなかなか食べることはできないものなのではないかと考えました。

3日目、彼女の実家にあるダバオに国内線に乗って向かいました。相変わらず松橋と自称「現地スタッフ」は当然の如くついてきました。

マニラのホテルから(ダバオのホテルからの眺め。ホテルの周囲の鶏が朝早くから鳴いていました)

4日目の5月7日。彼女の家の近くにある彼女の家族のファームに連れて行ってもらいました。

彼女の家族は今の家に20年ほど前に移ったそうです。
それまでは、質素な家に住んでいたようです。

旧家

かまどかまどとして使っていた石。お父さんが石に穴を開けて加工したそうです。

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ファームファームの近くの川。ボクが二回目のフィリピン渡航から帰って数日後に氾濫したそうです。普段はとても穏やかな川ですが、インフラの整備されていないフィリピンでは川の増水は珍しいことではないようです。

水は濁っていましたが、子供たちが川で泳いでいました。昔はもっと水がきれいだったと話していました。

河ボクは自然が好きです。街を歩くよりもとても楽しい経験となりました。

そして、フレッシュココナッツジュースをいただきました。日本のスポーツドリンクのような透明感のある飲みやすい味わいでした。中の白い部分もスプーンのすくって食べましたが、おいしかったです。

2017/ 5/ 7 16:09
(ココナッツの木)

5月8日。いよいよ明日、日本に帰国する時となりました。それで、デパートに母に持っていくお土産を買いに行きました。

皿きれいな皿を見つけました

また、彼女から服と財布をプレゼントしてもらいました。

服

母には乾燥マンゴーを買っていきました。帰国後に渡しましたが、とても喜んでいました。ボクも食べましたが、とてもおいしかったです。

夜は彼女の家族が料理を作ってもてなしてくれました。正直、彼女の家族は料理が上手です。また、とててもフレンドリーです。

彼女は性格がとてもいいです。きっと、いい家庭の中で育ったからなのでしょう。家庭環境に恵まれなかったボクにとっては羨ましい限りです。

料理はとても豪華なものでした。特にカニを使った料理がありましたが、ホントおいしかったです。殻は固かったですけどね。

普段は質素なものを食べているのに、ボクのために精一杯のもてなしをしてくれたのでした。

ありがとうございました !

そして、2度目の別れの時となりました。今回もボロボロと涙を流しながら帰ってきました。別れはとても辛いものがありました。

でも、次は結婚式なので、泣いてはいけないと自分に言い聞かせながらも、いつまでもボロボロと涙を流しながら帰ってきました。

妻
( My beloved wife ! 。 実際はもっとかわいいですよ ! )

 

 

義理の妹の入院

3日ほど前の夜のことでした。

妻から英語で「妹が腹痛になった」との連絡がありました。

何か悪い物でも食べたようで、ご両親と病院に行くということでした。

そして、そのまま入院になってしまいました。

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点滴による治療がされたようです。

その晩は、妻も寝ないで起きていました。きっと心配だったに違いありません。 (しかし、後で実はお化けが怖かったから寝られなかったのだと聞かされました・・・)

フィリピンの人たちは食べ物を大事にします。レストランで残った食べ物は家に持ち帰ります。日本では残ったものは捨ててしまいます。飽食日本と言われて久しいです。

しかし、この習慣は仇にもなります。暑いフィリピンでは食べ物も痛みます。たまに妻から、家族が腹痛になったと聞かされます。

ボクは、時には捨てる勇気ももってほしいと思います。痛んだ食べ物を食べて健康を害したら意味がありません。かえって高くつきます。

でも、昨日無事に退院しました。とても元気そうに踊っている動画も見られて安心しました。

 

 

Caution ! ” Lolo Kazu ” ” フィリピン国際結婚相談所 マリッジキューピット ” !
( name : 松橋 和幸 ( kazuyuki matsuhashi ) )
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ついに、フィリピン渡航!

ボクは海外旅行の経験はありませんでした。
というのも、海外は怖いからです。旅行そのものはとても好きです。

そんなボクが、国際結婚相談所と称する 「 マリッジキューピット 」 の 松橋 を通じて、サイトに写真が掲載されているひとりのフィリピンの女性との交際が始まりました。

2017年3月20日のことでした。

しかし、彼女はなんと20歳 ! 対して、ボクは41歳
将来、うまく、やっていけるのかは少し不安でした。

彼のアドバイスでFacebookのメッセンジャーを通して数日間メッセージの交換をし、親睦を深めることになりました。

彼女とのメールはとても楽しかったです。何といっても、ボクの職場にはほとんど女性はいません。メールであろうと、相手が海外の女性で、英語を使用することになろうと、若い女性とコミュニケーションをとること自体がボクにとってはとても楽しいひと時でした。

当然ボクは英語はわかりません。Google翻訳を使いながら意志の疎通を図りました。それでも、お互いの考えは十分理解することができました。

彼女がよく使う、メールの 「 you are welcom 」 というフレーズが印象的でした。フィリピンに渡航する間際には、「 I am your girl friend 」 とのメールもくれました。遭ったこともないボクの事も歓迎してくれている気持ちが伝わってきました。そして、彼女の情熱も。

メールの内容はとても明るい話題が多くて楽しかったです。そんなやり取りの中からフィリピンの現状や彼女の家族のことを理解するようになりました。

彼女の家族は大家族です。自宅の写真も送ってくれました。とてもきれいな家でした。フィリピンは貧しい国です。でも、彼女の家はちゃんとした生活を送ることができているように感じました。

以前に、別の日本人男性と付き合っていた経験があることもわかりました。でも、結果は悲しいものになったようです。今でも詳しいことはあえて聞いていません。前の彼氏の写真も見ました。やはり中年で少し太った男でした。恐らく、彼女は以前から日本に関心があって、日本人と結婚することを願っていたのだと感じました。
でも、ボクはその事実も受け入れることにしました。過去にどのようなことがあったとしても、今、彼女が自分を愛してくれるとしたらそれでいいのです。

そして、彼女の家族にボクを紹介してくれることになりました。ついに、4月15~17日、実際にフィリピンに渡航して彼女とその家族に会いに行くことが決定しました。

海外旅行の経験のない人が、海外に出かけます。その決意は自分ながら計り知れないものがありました。でも、彼女に会ってみたいとの感情の方が不安に勝りました。

事前に松橋から海外渡航に必要なことを教えてもらい準備を勧めました。特にインパクトが大きかったのはお土産です。

彼のアドバイスで、段ボールを3つ並べたものにチョコレートやカップラーメンをとててつもなく詰め込みました。ものすごい量となりました。カップラーメンは日清のシーフードヌードルが指定されました。

なんでも彼が言うには、日本人がフィリピンに行く場合、お土産をたくさんもっていかないと、恥なんだそうです。

松橋とは4月15日の朝、成田空港で待ち合わせとなりました。

ボクは宮城県に住んでいます。それで、14日のPM11:00に成田に向けて出発しました。飛行機に乗り遅れたら一大事です。十分、余裕を持って出かけることにしました。車の運転は高速道路を使ったとしても、片道6時間にもなりました。AM5:00には成田に着き、近くのコンビニで仮眠や軽食をとることにしました。

そして、空港のロビーで松橋と合流し、フィリピンに向かいました。ボクは飛行機に乗るのも20年ぶりでした。20年前に友人の結婚式で、沖縄に行ったときに乗っただけでした。それで、飛行機に乗る事自体もかなり緊張のともなうものとなりました。

空港や、飛行機内では、飛行機の乗り方、フィリピンの事などをとても親切に教えてもらいました。海外が初めてのボクにはとても参考になる話でした。

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彼女の住んでいる場所はダバオです。途中、マニラで別の便に乗り換えました。

マニラに近づくにつれて気持ちは高ぶりました。

ついに、彼女に遭えるのです !

航空券4月15日

 

 

第一回フィリピン渡航 ( 2017年4月15~17日 )

4月15日の夕暮、ボク達は出逢いました。

周囲はすでに暗くなっていました。飛行機の中は寒いので上はジャージを着ていました。だから特に空港の外は暑かったです。でも、日本の夏のような湿気はなく、割と過ごしやすそうでした。

ダバオの空港から外に出てみると、彼女は家族と一緒に出迎えてくれていました。

彼女の最初の印象は小さい!

身長150cm程度しかないので、とても小さいです。日本だったら子供くらいの背丈です。
でも、顔つきは日本人とは違って彫が深くて大人っぽいです。身長は小さいけど顔は大人っぽくて、妙に違和感は感じましたが、かわいいです。
特に、歩く姿がちょこちょこしていて、なんだかやはりかわいいと思いました。

ボクは少し恥ずかしくて、あまり顔もまともに見ることはできませんでしたし、英語も話せませんので、ほとんど無言で荷物を押しながら、みんなで宿泊施設のマルコポーロホテルに向かいました。

彼女はボクの後ろに廻ってわずかに背中を押してくれていました。

宿泊するホテルでは彼女と、彼女のお姉さんとの交流をしました。
お姉さんは若い頃、日本に住んでいたということで、日本語がとても流暢です。通訳をお願いしました。でも、やはり言葉による彼女との意志の疎通はあまりできませんでした。それでも、言葉はなくてもやはり何か通じるものがありました。
不思議と一緒にいると、とても幸せな気持ちになりました。

その日の夜に話した内容は今は正直あまり良く覚えていません。

ただ、言葉は通じないし、ボク自身も恥ずかしくて何もできない、このままではダメだと思いました。わざわざフィリピンまでやってきた意味がないと。
だから、今日、実際に会ったばかりではありましたが、彼女にはできるだけ本当の彼女になってつもりで接することに決めました。歩くときは手をつないで歩く、車に乗る時は彼女の肩に腕を回すことに決めました。

そしてその日の夜は当然、彼女とお姉さんは同じホテルの別の部屋で過ごしました。

次の日は松橋が彼女の家で「ボランティア」をやるということで、彼女の家に行きました。午前中は松橋が食材を買い、午後は近所の子供たちに無償で食べ物を提供していました。

ボランティア自体はとてもいいことです。でも、今考えると、松橋はどんな気持ちでボランティアをしているのか、ボクには理解できません。つい昨日までの渡航でわかったのですが、彼はフィリピンに何人もの彼女がいて、ある彼女との間には子供も作ったのに、世話をしていないとのことでした。彼女も話していましたが、外側は良い人、でも内側は極悪な人間です。
ボクには彼の考えは理解できません。

彼女の家には、家族みんな来ていました。お兄さん3人とその家族、お姉さんの家族、それから彼女の妹と独身の若いお兄さん。

言葉は通じなくても片言の英語と身振り手振りで、なんとなく意志の疎通が図れました。

そして、その日も忙しく過ぎていきました。

次の日はボクはひとりで日本に帰国する日となりました。

彼女とお姉さんと松橋と松橋の「現地スタッフ」はマニラで必要な書類を取得したり、結婚式の準備をするとのことで、しばらくマニラに滞在することになりました。

ボクは彼女達がしばらく滞在するというマニラのホテルまで一緒でした。彼女たちが宿泊の手続きをし終わったら、空港まで行って、そこで今回の渡航での交流は終了することになりました。

マニラのホテルのロビーで宿泊の手続きをしている時のことでした。彼女は別れに際して泣いてしまいました。そして、ボクも泣きました。

たかだか数週間のメールでの交流と、実際に数日間遭っただけですが、お互いの絆はとても深まっていました。

別れはとても辛いものとなりました。

帰りの飛行機の中でボクは彼女に一通のメールをしました。
「結婚式ではキスをしないといけません。でも、あなたとわたしは背がとても違う。だから練習をします」と。

そのメールを送ったところ、彼女からの返信がありました。

「わたしはキスをしたかったけど、あなたはとても早く帰ってしまった」と。

確かにそうなのです。ボクは別れが辛かったから、彼女の頭をポンポンとして、すぐに空港に向かってしまいました。

でも、彼女の気持ちを知ることができて、ボクはとても嬉しかったです。

 

そして、そのあと最悪の2週間が始まることになりました。

 

 

悪夢の二週間

1回目の渡航の後は、松橋はフィリピンに残り彼女の書類作成や結婚式の準備などの手伝いをすると言いました。ボクの2回目の渡航までは約2週間ありました。正直ボクは書類の作成に二週間も滞在する必要があるのだろうかと考えました。

その間の実費は私が負担することになっていました。実費にはホテル代やタクシー代、食費も含まれます。

松橋が選んだホテルは地元で一番高いホテルでした。1日13000円以上します。もっと安くて安全なホテルはいくらでもあります。しかし、一番高級なホテルだけを選びました。そして、毎晩毎晩クイーンベッドの部屋を指定しました。当然シングルよりも高いです。そして地元スタッフと称して毎日毎日違うフィリピンの女性を連れて歩いていました。それが愛人なのかなんなのかはわかりません。当然夜も一緒でした。

2週間の彼の滞在費は全てボクの負担でした。彼の請求額はとても高額なものになりました。やはり明細も領収書も提出しませんでした。当然ボクは提出するように要求しましたが、彼はかたくなに拒みました。「他のものと一緒に買っているから出せない」というのがいつもの彼の良い訳でした。

しかしボクは、どんなことがあっても彼女と結婚したいという気持ちから、彼の言い値で支払いを続けました。

しかし、これはまだいい方です。

ボクは、結婚式に関してはフィリピンなんだから安いだろうし、30万円程度でやってくれとお願いしました。彼女もシンプルな結婚式でいいと言ってくれていました。

しかし、彼は最低75万は払えと言い続けました。「会社の規定」だと彼は言い続けました。当然、見積書も明細も何もありませんでした。

ボクは彼女を愛していますから、やむなく承知しました。

そして数週間前に結婚式の費用として少し多めの100万を支払いました。ところが、しばらすると100万に変更すると言い出しました。そして、最終的には税金が20万円かかるといい計120万になりました。

彼女が持っている結婚式場となるホテルの明細を見たら約20万円でした。彼は20万のものに100万以上、上乗せし請求していました。彼からしたらプロデュース代とのことかもしれませんが、少なくとも20万の支払いに対して20万の税金はかかりません。彼は経費を詐称し代金を請求しました。

その数日後に、追加で多額の金銭を請求されました。彼女の結婚式の衣装や身の回りの物の費用とのことでした。これはフィリピンへ直接送金しました。ボクはやはりお金を払うのは自分だからと領収書の提出を要求しましたが、やはり彼は拒み続けました。

そして、2回目のフィリピンの渡航に際して、彼女の家に結納金を納めることになりました。松橋はフィリピンでの相場は100万だから、100万を納めるように要求しました。松橋は100万は航空機で運べないから、60万は彼女に送金し、50万は松橋が立て替えておき、計110万を彼女の両親に渡す予定となりました。そして事はそのようになると信じていました。

これまでボクの支払いはすでにかなりの金額になっていました。ホテル代等彼の滞在費を含めすべてボクの負担とされました。そして、さらに結納金です。でも、ボクは彼女を愛していますから、彼女の家族の為にと思いなんとか支払いました。

しかし、支払いはとても大変でした。ボクの金銭的な限界も近づいてきました。

だから彼女にも費用面で相談することにしました。松橋は金の事は彼女に話すなと言っていましたから、今まで彼女に費用の相談はしませんでした。

しかし、彼女や日本語のできる彼女のお姉さんに直接メールで相談したところ、いろいろなことが判明しました。

細かいことは省きますが、平たく言えばすべての物に関して高額な費用を上乗せしていました。実際の明細は大まかですが、彼女のお姉さんが記録していました。

そして、松橋はそれまでの2週間、毎日ではないとしても大方、自分の彼女 ( 愛人 ) と買い物に出かけ、私の彼女とお姉さんは荷物持ちになっていたそうです。背任行為です。ボクの信頼を裏切りました。

そして、彼女に結納金100万 ( 10万程度は送金の際に価値が下がるそうです ) をもらったか確認しました。しかし、もらっていないとの答えが返ってきました。

ここで、すでにボクは松橋がどういう人物かはっきりと理解し始めました。

渡航に際して、事前に消費者生活センターにも相談しました。それで、 マリッジキューピット の違法性を理解しました。

そして、2回目の渡航となりました。

 

 

第二回フィリピン渡航 ( 2017年5月4~9日 )

2回目のフィリピンへの渡航はゴールデンウイークを利用しました。

2回目の渡航は成田空港からマニラまでは一人で行かないといけませんでした。正直、今現在もそうですが、海外への渡航は慣れないのでかなりの緊張と不安が伴いました。

マニラでは、先回の渡航からずっと彼女とお姉さんと松橋と愛人が滞在していました。そして、彼女とお姉さんが出迎えてくれました。

正直、松橋の顔は見たくありませんでした。当然、すでに松橋への信頼はありませんでした。

そして案の定、ほどなくして松橋は残りの結納金50万を要求しました。

ボクは彼女のお姉さんに松橋立て替え分の50万をもらっているか確認しました。彼女はもらっていると返事したので渡しました。

ところが後で、やはり確認したところもらっていないことがわかりました。

松橋からはボクの答えには肯定するように言われていたそうです。

そして、彼女と松橋との口約束も判明しました。彼女のもとにお金が入った時は半分はもらうとの約束だそうです。彼から言わせれば結納金もそれに含まれるものだということです。しかし、ボクは彼女の家族に支払ったのです。彼女に払ったのではありません。結納金まで搾取されました。

ここまでで、松橋には数百万以上支払った計算になります。お姉さんが記録していたものなどからして、計算すると実際の費用は150万程度と考えられます。

そして、2回目の渡航の際にさらに彼は追加で80万円を要求しました。

そして帰りの飛行機の中でさらに事件が発生しました。ボクは彼に契約書も見積書も領収書もないのは、違反ではないかと問いました。そして、もう松橋との関係は終わらせると告げました。

そこで彼は、契約書を作成すると言い出しました。

内容は残りの80万を支払うようにとのものでした。

ボクはサインはしないと告げたところ、彼は 「 サインしないとフィリピンの警察に引き渡す 」 と告げました。さらに、 「 フィリピンの警察は日本とは違ってお金でなんでもする 」 と脅しました。

ボクは正直身の危険を感じ、サインしました。そして、帰国してきました。

契約書net

日本に無事にたどり着けた時の、ホットした気持ちといったらありません。海外渡航は嫌いです。でも、フィリピンに行かないと彼女にも彼女の家族にも会うことができません。毎回、仕方なく海外に出かけていきます。

当然、もうボクは松橋には一円たりとも支払うつもりはありませんでした。彼女もこれ以上支払ことは望んでいませんでした。

ボクは松橋の呪縛から解放されました。そして、二回目の渡航でお姉さんと相談することで、松橋に頼らなくても結婚できる目途も付きました。

帰国後は、まず警察に行きました。

そして、数日後には弁護士にも相談しました。

契約書は違法なものであり、民法96条に基づき無効です。ただ、日本の今の法律では彼を罰するのも、お金の回収も難しいようです。

フィリピン国際結婚相談所 マリッジキューピット 代表の 松橋 和幸 はとても危険な人物で悪人です。

マニラでは逮捕歴もあると聞いています。

たくさんの彼女を作って、ある彼女との間には子供も作ったのに世話をしないでいるようです。

正直、ボクから言わせれば彼はキチガイです。彼の考えは理解不能です。今まで遭った人間でも最悪の部類に属します。

日本にもフィリピンにもまともな住居もありません。堅気の仕事もしていません。彼は今は汚い方法で大金を掴んでいるかもしれません。しかし、それは恐らく一時的なもので終わるハズです。

家族を持って、一人の最愛の妻と子供に囲まれて、つつましく生活する方がどれほど幸せかしれません。

人の目から逃れるために、転々とホテルで生活しているから、健康的な食事もしていないハズです。

将来性は全くありません。それでも彼はすでに40歳後半です。

いつか必ず報いは受けます。

 

 

きっかけは・・・

ボクは、若いころは結婚願望はほとんどありませんでした。
今でいう、草食男子です。セオリー通り、 ボクの歳 = 彼女いない歴 でした。我が人生に、「 彼女 」 という言葉はありませんでした。全くの無縁でした。

でも、30歳を過ぎたころから、次第に幸せな結婚生活を送りたいと考えるようになりました。
子連れの幸せそうな家族を見るたびに、自分が悲しくなり目をそらしました。

でも、ブサイクな中年と結婚してくれる奇特な女性などいません。ボクは自分で言うのも難ですが、顔はカピバラにとても似ています。

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中年のカピバラは、すっかり婚期を逃してしまいました。

 

ボクは以前、東京の墨田区に住んでいました。そこでは、割と多くの外国人が住んでいました。中にはフィリピンや中国から奥さんをもらった人もいました、国際結婚は割とボクにとって身近なものでした。

だから、ボクも・・・

そして、たどり着いたサイトのひとつがマリッジキューピットでした。

国際結婚はとても費用がかかることは理解していました。でも、ここならきっとボクの手持ちの資金でもなんとか支払うことができるのではないかと期待しました。 「 業界最安値(70万円/税別 )」 との謳い文句に惹かれました。

しかし、だんだん明らかになっていきましたが、ここはとんでもない詐欺的な業者でした。

 

Caution ! ” Lolo Kazu ” ” フィリピン国際結婚相談所 マリッジキューピット ” !
( name : 松橋 和幸 ( kazuyuki matsuhashi ) )
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