足尾銅山

ここのところ数か月、土日も返上し勉強を続け少し燃え尽き気味になってしまいました。

そこで平日ではありましたが、気分転換に親を連れて足尾銅山に行くことにしました。

なぜかというと、昨年は派遣先が宇都宮だったために栃木県を結構観光し、栃木県にある山々の秋の美しさに魅了されてしまったからでした。

今年は親にも見せてあげたいと考えました。

借上げ住宅からはおそらく片道4時間の道のりになると予想されました。

出発は朝の5時でした。

ちょっぴり眠気を感じながらもひたすら東北道を南へ向かいました。

そして、日光道を経由して足尾の町へ。

本日の空

秋晴れ!

足尾は現在は日光市に統合されているようです。

足尾へ向かう道は山々の間を縫うようにして走り、山はとても近くに迫ってきます。

昨年のちょうどこの時期は紅葉真っ盛りでした。
でも、今年は少しばかり遅かったようです。

いや。

地元の人に話を聞いてみましたが、今年の紅葉はあまりきれいではないそうです。
そのせいかもしれません。

昨年ほどのインパクトは感じませんでした。

それでも、割と街中に住んでいる今の自分にとって山の自然を見ていると心は癒されます。

それに、昨年ほどではないとしてもやはり栃木の山の紅葉は美しいと感じました。

とりあえず、まずは、「足尾駅」を見学することにしました。

ふと駅舎のはずれを眺めると、野生のシカが2頭エサを探していました。

通常ありえない光景です。
でも、ここは山の中なのでこういう光景も珍しくはないのかもしれません。

近くに寄っていっても人馴れしているのか逃げませんでした。

母は、動物好きなので持ってきた柿やミカンなどをあげていました。

昨年は、駅舎は多くの観光客で賑わっていました。

よく覚えていないのですが、訪れたのは、やはり週末だったのでしょうか?

多くの人が線路内にも立ち入り写真を撮っていました。

それを見てボクは、てっきりすでに廃線になったものと早合点していました。
しかし、昨年も今年も線路の頭頂面にサビは見受けられませんでした。

そこは腑に落ちない点ではありました。

駅舎のすぐわきに、使われなくなった列車がひっそりと佇む姿も一層、その憶測を加速させました。

今日は平日というせいもあるのか、人気(ひとけ)はあまりなく、ひっそりとしていました。

でも、その方が秋の山の中の駅らしいです。

しばらくすると、廃線になったと思っていた線路を列車が走ってきました。

まだ、足尾駅はちゃんと使われていたのでした。

線路内などに無断で立ち入ってしまって良かったのでしょうか?

駅を見学したあとは、また少し車を走らせ「足尾銅山」に向かうことにしました。

到着した時は午前中もまだ早い時間でしたし、平日でしたので他の見学者はまばらでした。

見渡せば、とてもきれいな山々がまわりをとり取り囲んでいます。

駐車場に車を停め、受付に向かいます。

「ようこそ 足尾銅山観光へ」と書かれたゲートを抜けて少し下れば受付です。

銅山へは「トロッコ」に乗って向かいます。

トロッコの出発時間まであと10分ほどありました。

ほとなくしてトロッコが来たので早速乗り込みます。

車窓より

銅山までの距離はあまりなく、乗っている時間もそう長くはありませんが、途中、機関車の切り離しなどもあって、雰囲気は抜群です。

銅山につくと、坑内を江戸時代に遡って昭和までの採掘の様子を見学します。

薄暗く、周囲には地下水が流れ、時たま頭にもポツリと雫が落ちてきます。

手掘りの時代

少しだけ機械化が進んで

食事中

作業者の方たちは、昨年来た時から1歩も動かず、また微動たりともせず黙々と作業をされていました。

坑内を抜けると展示室になります

電気鉄道

そして、外を見学します。

掘削機を動かすことができます。

ボタンを押すとものすごい爆音が響きます。

びっくりしてしまいました。

一通り見学を楽しんだ後はお土産を買っていきます。

ここのおばちゃん達はとても商売がうまいのです。

昨年もたくさん買ってしまいました。

すこしばかり警戒しながら売店へ向かいます。

おばちゃん達もみなさん元気のようでした。

相変わらず商売はうまい。

今回もつい、つられて買ってしまいます。

結局、母は1万円くらい、いろいろと珍しそうな石や漬物などを買ってしまいました。

ボクはだいたい6000円くらいかな。

一番の収穫はコレ

Z32のパトカーのプラモ

すでに廃盤品です。

警察用品(?)のいろいろな付属品が充実しています。

コレクションにします。

なぜ、銅山のお土産屋にこんなものがあるのか、おばちゃんに聞いてみました。

「うちは昔は、模型店だったから」だそうです。

あと、珍しいものではたぶんS130のパトカーだと思うのですが、Zのプラモがありました。

気になる方はぜひ。

母もとても楽しそうに物色していました。

今回の旅の一番の思い出です。

最後に事前に連絡をいれておいた、「掛水倶楽部」を見学して帰宅する予定です。

さすが、世界遺産をめざしているだけのことはあります。

平日であるにもかかわらず、帰るころには見学者は増えていました。

どこかの小学生も社会科見学で来ていました。

足尾銅山を見学したあとは、「掛水倶楽部」へ向かいました。

ここは昨年も来たところで、とても気に入ってしまいました。

それで今回も行くことにしました。

まだ公開されてから数年しか経っておらず、穴場かもしれません。

かつては、古河鉱業の迎賓館として使われていたそうです。

りっぱな建築と、豪華な調度品の数々を見ることができます。

今回は平日に行きましたが、とても大勢の人が見学にきていました。

紅葉の季節の、しかも、週末となれば結構混むかもしれません。

建物裏手

中は撮影禁止なので、ぜひ機会があれば、ご自身の目で直に見学してください。

行くとすればやはり、紅葉の季節が良いと思います。

昭和にタイムスリップした気分が味わえますし、エイジングコーヒーもいただいて、のんびりすることもできます。

裏庭から望む栃木の山々

すぐわきには渓谷がながれすばらしい景色が広がります。

見学した後は、周辺を散歩しました。

紅葉がとてもみごとでした。

今回もとてもいい気分転換になりました。

朝が早かったので、夕方には借上げ住宅に着くことができました。

 

 

参考資料:

「古河掛水倶楽部」
http://www.nikko-kankou.org/spot/30/

 

 

 

 

詐欺師 ” Lolo Kazu ” こと ” 松橋 和幸 ” に注意 !
Caution ! ” Lolo Kazu ” ” フィリピン国際結婚相談所 マリッジキューピット ” !
( name : 松橋 和幸 ( kazuyuki matsuhashi ) )

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普通口座 0885955
松橋 和幸

 

詐欺師 松橋 和幸 ( Lolo Kazu ) 写真集
詐欺師 松橋 和幸 ( Lolo Kazu ) 写真集 vol.2

 

 

 

富岡町の今_20141101

もう1年ほど前のこと。

今は辞めましたが、ある派遣会社に就職が決まり、研修で名古屋に行きました。

あまり自分は被災者であることは話しません。

でもその時、ふとした事で同じく研修に来ていた人に自分が原発災害で避難していることを話しました。

「福島県の原発事故は全然進展なんかしていないんです。多くの人は避難したままなんです。決して風化させてはいけないと思います」と話しました。

そしたら、「実際は風化していて、ほとんどの人は全然感心なんて持ってないのが現実じゃない」と返ってきました。

確かにそうかもしれません。当事者でないと原発事故になんて、もう感心なんてないのかもしれません。

それが現実なのかもしれません。

ただ、その心無い言葉に内心怒りを感じました。

双葉郡の多くの人が狭い仮設住宅で、しかも家族単位で生活しています。

機会があったら仮設住宅の中をのぞいてみてください。

狭く、プライバシーなんてあったものではありません。

最近は雨漏りが生じて畳にカビが生えてしまい、肺を菌に侵されている人も増えていると聞きます。

一度菌に侵されると一生治らないそうです。

原発事故がなかったらそんなこともなかったのです。

そして、自分の親類もストレスで心臓をやられたり、うつになっています。

でも、それが双葉郡の大勢の人が置かれている状態なのです。決して珍しいことではありません。

ボクや母は、わりと元気にうまくやっている方です。

ただ、運よく割と広い1軒屋に入居できたせいもあると思います。

また、ねこが結構かわいくて、気を紛らわせてくれているせいもあるのかもしれません。

私生活ではボクは職業訓練校に入って機械の勉強をしています。

仕事をしていたり、勉強していたりするとやはり生活に張り合いはでてきます。

避難生活がどんなに長引こうと、周りの人が無関心であろうと、決して負けてはいけない。

今 置かれているこのような状況でも、将来の自分のためにできることはきっと何かあるハズだ。

そう感じるこの頃です。

庭の除染も片づけも全く進展がなく、ガレキは積み上げられたままです。

水道もガスも出ません。

ネズミに配線をやられている可能性があるため、電気を点けることもできません。

床を拭いても拭いてもネズミに荒らさせます。

ネズミ捕りにかかったネズミは腐乱し、悪臭を放ちます。

ゴキブリの死骸も転がっています。

そして、家に帰って感じることはいつも同じ。

3年以上経ちますが、自分を取り巻く状況は相変わらず何も変わっていないように感じるだけです。

こんな現実を双葉郡以外の人はどれだけ知っていることか。

ごくまれに用事で東京にでかけることがあったとしても、見かけるのは、ただ何もないように忙しそうに足早に歩き去る人々の姿だけです。

当初は、果たしてこれは同じ日本なのかと、その現実にとても大きな違和感を感じていました。

そして、東電本社の経営陣のどれほどの人がこの現実を実際に見たことがあるのだろうか?

何も責任も罪悪感も感じないのだろうか?

疑問を持たざるを得ません。

辺りには人気がなく、閑散とした土地が広がっています。

今日は朝から小雨が降っていました。

なんとなく寂しげな秋の小雨は、気持ち的には、一層わびしさを助長させるだけでした。

数日前に、福島県知事選挙がありました。

私欲にまみれるだけの腐敗した政治家などには自分は何も期待していません。

 

 

富岡町の今_20140929 田んぼの除染

富岡町の自宅に用事があり2週間ぶりに自宅に戻りました。

東北地方は秋まっさかり。

空気はカラッとしていて、すがすがしい日々が続いています。

少し山に目を向ければ、紅葉が始まっています。

去る、15日に6号線が全面的に開通になりました。通行証がなくても誰もが通過できます。

これで、毎回毎回、検問所で嫌な思いをすることもありません。

ただ、福島第一原発付近の空間放射線量はかなりのものです。3年以上が経ったとしても、道路の除染をしても、全く状況は改善されていないと感じるのはボクだけでしょうか?

安易に何度も通行するのは危険です。

ただ、やはりそれでも、そういう場所で仕事をしている方も大勢いらっしゃいます。

他人のことですが、心配です。

富岡町で、ふと、ある田んぼに目を向けると重機でなにやら作業しているようでした。

田んぼの表土をはぎ取っているようでした。

農家の方にとっては、農作業が命です。

果たして、富岡町で農業が再開できる日はいつになるのでしょうか?

最近いっそう、仮設住宅で「ひきこもり」や「うつ病」や、最悪の場合は「自殺」が増えているようです。

前双葉町長から、パチンコなどをやって、好きなことをやっている人はいい方だという話を聞きました。

「好きなことをして生きのびましょう」と。

その言葉はとても暖かく、それでいて痛いほど実感できる言葉でした。

 

 

田代島

 

うちの家族はネコ好きです。

現在も3匹飼っています。

ネコ好きなら1度は行ってみたいのが田代島です。

今回初めて田代島に行ってきました。

母と行ってきました。

本日の空。晴れ。

朝の7時に家を出発して、三陸道を通って石巻に向かいました。

石巻はここ3年で随分行きました。

震災直後はひどいものでした。

ガレキは散乱し、積み上げられたガレキはそれはそれで悪臭を放っていました。

でも、すでにかなりきれいに片づけられていました。人々はたくましく生きていました。

でも、きっと多くの人はまだ心の奥深くに癒えないキズをかかえて生きているのだと思います。

自分たち家族もそうです。きっと震災で受けたキズは一生背負っていかないといけないと思います。

きれいに片づけられた港

田代島にはお店はないとの情報がありましたので、途中、コンビニでおにぎりなどを買っていきました。
8時には波止場に着きました。9時の船ですが、すでに多くの人が集まっていました。そして9時近くになるとバスで団体の旅行客も来ました。

たくさんの人が田代島に向かうようです。

船は何年ぶりだろうか?10年以上乗っていなかったもしれません。

船に乗り込むと、念のため救命道具の位置を確認しました。

45分ほどで田代島です。船の旅もいいものです。波に揺られ眠くなってきました。

田代島が見えました。

降りるとすぐにお出迎えが!期待が高まります。

港では多くのネコがご飯を食べていました。

港を歩いてみて気づきました。

意外とネコが少ない。確かに他のどこよりも密度は大きいと思います。

でも、少ない。

ボクはもっと足の踏み場もないほどネコであふれかえっているのかと思っていました。右も左も前も後ろもネコづくしだと期待していました。

少し期待外れ。

きっと、津波で流されたネコも少なくなかったのかもしれません。それが現実なのです。

港でネコを観察したあとは、今日のお目当ての一つでもある「猫神社」に向かいました。

宮城県はすっかり秋です。

標識通りに内陸の方へ進みます。

着きました。

とても小ぢんまりとした神社でした。なんだか、小さくて、ちょっぴりさびしいなぁ。

特筆するものは何もないように感じてしまいました。

時間もまだあるので、島の南側に向かって引き返しました。迎えの船は14時です。

住宅地。人口は少ないと予想できました。

多くの家々が津波で流されたようです。生々しいキズ跡が。

島からの眺めはとてもいいです。

荒々しい海を確認できました。

ちいさい島なので半日あれば十分観光できると思います。

ボクは1度行けば、もういいかな。

少しだけ親孝行もできたかな?

 

参考資料:

「田代島」
http://www.city.ishinomaki.lg.jp/cont/10452000b/-kanko/-kankomap/d0120/20130225104052.html

 

 

 

 

詐欺師 ” Lolo Kazu ” こと ” 松橋 和幸 ” に注意 !
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詐欺師 松橋 和幸 ( Lolo Kazu ) 写真集 vol.2

 

 

 

国営みちのく杜の湖畔公園へぶらりひとり旅

来月からまた忙しくなるので、時間のあるうちにと思い、近場ですが息抜きに出かけることにしました。

今日は「国営みちのく杜の湖畔公園」へ出かけました。

朝9時位に家を出て、北へ約1時間車を走らせます。

秋保温泉の近くにあります。

少し前に1度だけ通りかかったことがあるので、場所もなんとなく知っていました。

本日の相棒

本日の空 曇りときどき小雨

気温はだいたい24度程度で涼しいです。

雨雲の切れ間から、ときおり見えるスジ雲は高く、すでに秋の空でした。

駐車料金は310円です。入園料は大人は一人420円です。

公園なのにお金を取るの?と思う人もいるかもしれません。

でも、入ってみると中は適度に人の手が入っていて、きもちのいい空間です。入園料を払ってでも入る価値はあると思います。

無料だけど、あまり手入れされていない公園もたくさんあります。全く手入れされないままの公園も中にはあります。そういう公園はしだいに荒廃し人も入らなくなっていきます。

それを考えるとやはりいいものを後世に残し続けていくためには手入れのための費用がかかるので入館料がかかるのも仕方のないことだと思います。

昔話の語りなどのイベントをやっていることもあるそうです。

 

ボクが一番楽しみにしていたのは古民家の移築があることです。

中に入って早速「ふるさと村」へ向かいました。

 

先ず見学したのは、「遠野の家」です。

遠野の民家は「曲がり家」で有名です。

家の平面がL字になっています。

次は「鳴瀬川河畔の家」です。

この民家は2階建てなのです。
2階建ての古民家は珍しいです。

なんでも養蚕をやっていた庄屋さんの家だそうです。
養蚕と聞いて納得できました。
養蚕をやっている家だと屋根裏で蚕を飼っていることも多いからです。昔の民家の屋根裏は広いですから。

確か白川郷も屋根裏は何層にもなっていて、昔は蚕を飼っていたと記憶しています。

公園のスタッフの方が縁側で唐辛子を干していました。

ふる里村を歩いて気づいたのは昔の農村の生活がとてもよく再現されていることでした。

実際に、畑には作物が、田んぼには稲が植えられています。
田んぼには昔ながらの かかし も。

そして、この民家の中ではお茶と漬物もいただくことができました。
茄子やきゅうりの漬物、それに、たくわんがありました。
ここの公園内で採れたものだそうです。

古民家の中は薄暗くて、とても落ち着く雰囲気です。時間の流れさえもが違うように感じました。

少し、カビ、あるいは土を連想させる、古民家独特の臭いも感じます。
また、柱時計の「ボーンボーン」という音や風鈴の「チリーンチリーン」という音色が雰囲気を盛り上げます。

外では鈴虫が鳴いています。

ボクも、スタッフの方としばしの間雑談をし、お茶をいただきました。

とても珍しい囲炉裏。

次は「南会津の家」です。

スタッフの方の話では、この民家は屋根に植木が植えられているのが特徴だそうです。
確かに何か草のようなものを確認できました。

次は「月山山麓の家」です。

屋根に特徴があると思います。

次々に見て回りました。次は「本庄由利の家」です。

この民家はとりわけ広くて、りっぱな屋敷という感じでした。

「釜房の家」

釜房の家の前にはりっぱな松の木も植えられていました。

「湯田河の松」

ふるさと村の周辺環境

円筒分水。たんぼへ供給する水を公平に分ける装置だそうです。
はじめて見ました。

宮城県全体にも言えることですが、自然がとても豊かです。
ふるさと村の内部も自然を生かすような方法で管理されています。

自然が豊かだから生き物もたくさんいました。
蝶、トンボ、セミ。
日本ではありふれている生き物のように感じますが、実際は、少し都市部に入れば、もうあまり見かけることもなくなっています。

昔ながらの農村がよく再現されています。

ボクが小さいころは、雨が上がると必ずといっていいほど水たまりでアメンボをみました。
よく捕まえては水のないところに放して、飛び跳ねるのを見て楽しんでいました。

でも、ホント、アメンボなんて久しぶりに見ました。

どんどん自然はなくなっているのだなと実感してしまいました。

そして、いつもながら感じるのはなんで日本にはいいものがあったのに、それをわざわざこわして新しくしてしまうのかという疑問です。

資産的価値においても、建てる際の手間においても、古民家には今の住宅にはない価値があります。

確かに薄暗かったり、気密性がなかったり、プライバシーが保てなかったり、現代の生活にそぐわないケースもあると思います。

でも、こういう古い民家を好む人も大勢いると思います。そうゆう人が移築などの方法で購入できるようにするなどの方法もあるのかもしれません。

維持費もかかると思いますが、こういうものを保存するためにこそ補助金などが使われるべきだと思います。

簡単に古いものをなくしてしまうのではなく、何らかの方法で後世に受け継いでほしいと思います。

車もそうです。

一昔前の車だって、今の車にはない良い雰囲気、デザインがあります。

そういうものがなぜ保存され、受け継がれていかないのか疑問です。

部品の供給もなぜ10年ほど経つとしだいに減ってしまうのでしょうか。

納得いきません。

イギリスでは古いモノへの評価が高いです。古いモノこそ価値があるとみなされます。

だからミニクーパーも現在でも供給部品を集めれば新車が作れるというのは有名な話です。

日本人はなぜ、こうも次々に古い良いモノを壊してしまい、新しいものにしてしまうのだろうか?

なぜ古いモノの価値がわからない人が多いのでしょうか?

ふる里村を見学したらすでに時間は1時過ぎでした。

ご飯を食べにレストハウスへ。

そうそう。
ふる里村の途中で丸っこい植物がたくさん植えられていました。

コキア食べられるそうです。

他にもいろいろな作物が。

そして、見つけた秋。

ようやくレストハウスに到着

遠くから見たらまさに円墳ですね。

円墳の中でミイラになった気分を味わいながら食事も味わえます(?)。

「てんぷらそば」 600円ほど。

内容と質を考えると、ちょっとばかりお高くないですか?

でも、薄味だけど そば は割とおいしかったです。

ご飯を食べた後は散策にでかけました。

「時の広場」へ

ストーンヘンジ風ですね。

それから庭園を見ながら奥へ

たくさんの花がきれいです。

花は詳しくないのが残念・・・

滝状の水の落下の内側に入ることができます。

さらに行くと木道がありました。

今後は湿地の植物も増やしていくそうです。

湿地を抜けて

釜房湖

ところどころに東屋があって一休みできます。

そんな東屋のひとつで

座って秋へと移りゆく景色を見ていると、なんだか無性に悲しい気持ちが沸き起こってきました。

時折降る小雨や曇り空がそうさせるのでしょうか。

自分はずっと一人です。

一人の時間が長いと一人でいることがあたりまえのことになってしまいます。

そして、一人でいる時間を好むようになりさえもします。

自分もいつのまにか随分生きてきたなと、なんだか、しみじみ感じました。

いろいろと昔のことも思い出されてきました。

そして、歳を重ねれば重ねるほど自然の中に身を置くことに安らぎを感じます。

なんだかすっかり感傷にひたってしまいました。

 

 

参考資料:

「国営みちのく杜の湖畔公園」
宮城県柴田郡川崎町大字小野字二本松53-9
http://www.michinoku-park.info/index.html

 

 

 

 

詐欺師 ” Lolo Kazu ” こと ” 松橋 和幸 ” に注意 !
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富岡町のいま_20140806 田んぼの除染

今日も富岡町の自宅に片付けに行きました。

先日、通りがかりに除染のために、田んぼの周りの草だけが刈られた光景を見ました。

今日、同じ場所を見たら田んぼの草が刈られてきれいになっていました。

今日の自宅での作業は竹藪の手入れです。

うっそうと茂った竹を切ってきました。

暑かったので、汗びっしょりになりました。

1時間半ほど作業をしてダウンしました。

疲れたので部屋の窓を開け放って涼しい風を入れながら、自分の部屋の椅子にのんびり座って、外の景色を見ていたら、やはり昔の事が思い出されました。

ここ10年、ずいぶん変わりました。

10年くらい前の改築前の富岡町の自宅のドアのカギは外からはかけられませんでした。

内側からしかカギをかけられなかったので、カギをかけるのは寝る時だけでした。

夏の日中は家じゅうのドアや窓を開け放って風を入れていました。

そうすると風が抜けてとても涼しいのです。

出かける時もカギはかけませんでした。

それでも平気だったのです。

確かにボロ家だとはいえ、泥棒が入ったことは一度もありませんでした。

うちも先祖は寺子屋をやっていて、地元に長く居座る家系です。今考えると、周りは親類ばかりですので、コミニュティがしっかりしていたこともあったのだと思います。

ボクは親類づきあいはほとんどありませんでしたが、祖母も母も何かと親類のところに出かけていました。

双葉郡なんてそんな感じで農村部はとてものどかな所でした。

もう、そうはいかないですね。

それを考えるとやはり失ったものは大きいのだと感じました。

双葉郡に限っては原発事故でコミニュティが失われたこともありますが、でも、昔と変わってしまったというのは日本全体に言えることかもしれません。

まだ若輩のボクが言うのもへんですが、日本人は昔とは変わってしまいました。

人情も薄れました。自分の利得のために人を平気で騙すような詐欺も横行しています。10年ほど前には振込詐欺なんて信じられませんでした。昔から悪い人はいたのでしょうが、悪質な事件がとても多いように感じます。

つい先日、病院での出来事です。

痛い採血も終わって、缶コーヒーでも飲んで検査の結果が出るのを待っていようと自動販売機前で何にしようか迷っていました。

これにしよう。

そしたら、おばあさんが、「水どれだろ? 水が飲みたい、水が飲みたい」とつぶやいていました。

「この110円のですよ」。

「目も悪いし、あまり買わないからよくわからないんです」。

そこでボクはおばあさんの手から110円をとって、自動販売機に入れました。

「コレでいいですよね?」。そして、ペットボトルの水のボタンを押しました。

そしたら、とても喜んで「ありがとう、ありがとう」と何度も言っていました。

どんなに小さいことでも、やはり人の喜ぶことをするのはとても後味のいいものです。

しばらく自分も幸せな気持ちになりました。

被災し避難して多くの人に助けられた時も感じました。

何か自分にできることがあったら、人の役に立ちたい。

そして、被災した多くの方や子供たちもそう口をそろえて言います。

ある人は被災者って、きれいごと言って、何いい人ぶってるのだろうって言っていました。

でも、この気持ちはやはり偽りはありません。

どん底の状態で助けられたからこそ、やはり人の役に立ちたいという気持ちが生じたのだと思います。

そして、人の役にたつ事はやはり、自分の幸福感にもつながるのです。

そして、昔の日本には、そういう小さな優しさが溢れていました。

決して珍しいことではありませんでした。困っている人を見かけたら助けてあげて、お年寄りの荷物を持ってあげたり。

ある昔の教師は、貧しくて弁当をもってこれない家庭の子がいるとそっと、食べ物や鉛筆を机の中に入れたそうです。

「困った人を見たら助けてあげなさい。弱い者をいじめてはいけません。人に迷惑をかけてはいけません」。

それが、多くの家庭でずっと教えられていたことでした。

それが日本人のアイデンティティーだったはずです。こんなにもすばらしい伝統があったのです。

まだまだ、他の国に比べればずっとましです。

でも、なぜ、こんな風になってしまったのだろうか・・・。

悲しい現実です。

 

 

富岡町のいま_20140721 田んぼの除染

本日の富岡町における除染風景

田んぼや側溝の除染をしていました。

しかし、なぜか田んぼに関しては周辺の草を刈っただけ。

何の意味があるのだろうか?

先の見えない避難生活とそれに伴ういろいろな苦痛。

東電に対する怒りも限界です。

でも、自分には何の力も権力もなく何もできない。

それがもどかしい。

でも、これが現実なのです。なんて理不尽な世の中なのだろう。

 

 

松島へぶらりひとり旅

今日は松島まで気分転換に出かけました。

でも、天気はあまり良くありませんでした。

曇り、時々雨。夕方は土砂降り。

本日の空

9時位に家を出て、三陸道経由で松島へ向かいました。

松島は10年以上行っていませんでした。

以前行った時は、まだ ばあさんが元気な時でした。

VIVIOに乗ってボクと母と ばあさんと3人で出かけました。

その時は、母と ばあさんは遊覧船に乗って、瑞巌寺も見ました。

ここ10年でいろいろな事があって自分を取り巻く状況も大分変化してしまいました。

あれから10年以上か。

自分はあれから人間として成長できただろうか?何か成し遂げたのだろうか?

振り返ってみると何も成果といえるものも特にない、むなしい月日だったような気がしてなりません。

しとしとと時折降り注ぐ小雨も、ちょっぴり気分に影を落としてしまいます。

でも、ボクはこんな小雨が降り、静かな時間が流れる日も嫌いではありません。
気をとりなおして出かけます。

松島へは11時少し前に着きました。
借上げ住宅から約1時間半です。

特に道に迷う事もありませんでした。

先ずは「松島 さかな市場」で腹ごなしです。45号線ぞいにあります。

平日というせいもあり、さかな市場内は そんなに人は多くありませんでした。

「海鮮塩ラーメン 」や 「うに丼」 もとても気になりました。
でも今日は、 「いくらネギトロ丼」 (900円) をいただきました。

とてもリーズナブル、かつ新鮮でおいしかったです。

やはり海鮮ものは、鮮度、値段からして現地で食べるのが一番です。

車は町営無料駐車場に置きました。

駐車場からの海

地元なので時間はたくさんあります。

歩いて付近をぶらりと散策しました。

メインストリートに出てみるとさすがに人は多かったです。
平日ですが特に中学生が修学旅行で来ているのが目立ちました。

昔と変わらない街並み

松島水族館。今日は入りません。

松島海浜公園へ

一部分は震災で被害を受けた部分を補修していました。

海からの眺め

昔よりも水は汚れていました。震災の影響でしょうか?

五大堂へ

五大堂からの眺め

福浦島へ続く橋

福浦島へ行くには200円の通行料をとられるそうです。
今日は行きませんでした。

松島は言うまでもなく海に面しています。

でも、被害は驚くほど少ないです。

それは、松島の海に浮かぶ島々が守ってくれたからだそうです。

自分たちを守ってくれた松島の島々は、きっと、もはや地元の人にとってはかけがえのないものとなっているに違いありません。

海を見た後は円通院に出かけました。

道中で見たもの


「三聖堂」

「いぶき」

近くで見ると、とても有機的で、木ではない生き物のようです。

「御水主町の民家」

瑞巌寺
今日は中には入りません。

参道

立ち並ぶ杉の木は塩水をかぶってしまい存続の危機にさらされました。
今はどうなのでしょう?

後世に残してほしいです。

「瑞巌寺洞窟堂」

「円通院」へ

先ずは枯山水

よく手入れされています。

少し入ると、茅葺屋根の建物があり、「数珠つくり教室」をやっていました。

本堂へ

庭園

やはりいつも思うのですが、歴史を語るのは大木とコケですね。

とてもコケがみごとでした。

梅雨のしとしと雨がとても似合うしっとりとした庭園でした。

「伊達宗高 並殉死者供養塔」

のんびり歩いてきました。

さて帰途につきます。

地元に着いてもまだ時間があったので、有名なものではありませんが、「称名寺」の 「シイノキ」 を見に行きました。

「シイノキ」

「五重塔」

いい気分転換になりました。

家には4時半には着いてしまいました。

もう少しいろいろ見ればよかったかな?

でも、どうせ近いから。また別な時に見に行こう。

 

 

参考資料:

「松島 さかな市場」
宮城県宮城郡松島町松島字普賢堂4-10
TEL 0120-50-2318
http://www.sakana-ichiba.co.jp/index.html

「称名寺」
宮城県亘理郡亘理町旭1
http://miyagitabi.com/watari/shoumyouji/

 

 

 

 

詐欺師 ” Lolo Kazu ” こと ” 松橋 和幸 ” に注意 !
Caution ! ” Lolo Kazu ” ” フィリピン国際結婚相談所 マリッジキューピット ” !
( name : 松橋 和幸 ( kazuyuki matsuhashi ) )

真実に基づく体験談はコチラから !

 

 

 

下記の口座にはくれぐれもご注意ください !

セブン銀行 カトレア支店
普通口座 0885955
松橋 和幸

 

詐欺師 松橋 和幸 ( Lolo Kazu ) 写真集
詐欺師 松橋 和幸 ( Lolo Kazu ) 写真集 vol.2

 

 

 

南相馬市散歩

用事があって、福島県の南相馬市に行きました。

時間があったので、市内をぶらぶらしました。

本日の空。
ときどき曇り。風は涼しく、さわやか。

ボクは古いものがとても好きです。
そこで、まずは「旧武山家住宅」へ。

期待外れでした。近くに行くことも、中に入ることもできませんでした。

でも、国定有形文化財だそうです。

もっと整備して、中も解放すればいいのにと感じてしまいました。

次に向かったのは、「南相馬市博物館」

ここには、蒸気機関車が展示されています。
本物です。

外に展示してあるため、蒸気機関車の見学は無料です。

C50蒸気機関車

重量感があります。車軸には、板バネが多数使用されていました。
鉄板もぶ厚く、車輪はボクの背丈ほどもありました。

裏に回ってみると。

本来は、燃料の石炭がたくさんはいっているところ。

石炭をくべるところ。

運転手の目線で。

鉄道好きにはたまりません。

いつも思うのですが、古くても良いものは時代を超えて普遍的な価値があると思います。

こんなにもすばらしいものが、なぜもう走っていないのか?

大事に整備して永代にわたって使用していくべきだと思います。

蒸気機関車しかり、ゼロ戦しかり、車しかり。

個人的には、車も一昔前のものの方が価値は高いと感じています。
S30ファレディZ、ハコスカ、MR2、86トレノ、レビン、20ソアラ、レパード、CR-X、挙げればきりがありません。
かつての日本には、良い車があふれていました。

今の車はなんなんですか?

似通っていて、オリジナリティのないデザイン。カチカチインパネ。

確かにLEDが多用されていたり光モノはきれいです。
きっと、走行性能も上がっていることでしょう。

でも、ボクは今の新車なんてもらっても乗る気しません。
(BRZは別として・・・)

エコとはなんでしょうか?

古いものを切り捨て、次々に燃費のいい車に乗り換える事なのでしょうか?

その度に多くの鉄くずを出してですか?

むしろ、良い物を修理しながら大事に永く乗り続けることこそ、本当のエコではないのでしょうか?

多くの人はきっとわかっているハズ。

次々と新しいものに乗り換えて徳をするのは、産業界だけではないのですか?

産業界に踊らされているのではないのですか?

でも、この国には、古い良いモノを乗り続けていくシステムがない。

しだいに部品の入手も困難になっていきます。

とても残念です・・・。

機関車を見た後は、庭園の散策をおこないました。

無線塔頭部

どんなものかはわかりませんが、こういう昔の機械になぜか心惹かれます。

博物館の庭園はよく整備されていて、のんびり歩くと気持ちがいいです。

犬の散歩をされている方もいました。

ただ、奥の方はすこしさびしいところもあるので、女性一人は気をつけた方がいいかもしれませんね。
中年オヤジには関係なし。

アジサイのきれいな季節ですね。

奥の方の池のほとりに東屋があってまったりしてきました。
緑色の水の中の倒木などはとてもしみじみとした趣がありました。

さわやかな気分になって帰りました。

 

 

参考資料:

「旧武山家住宅」
福島県南相馬市原町区北原字大塚213

「南相馬市博物館」
福島県南相馬市原町区牛来字出口194
0244-23-6421

 

 

 

 

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記憶をさかのぼって

あれから3年の月日が過ぎました。
いろいろな事がありました。でも、昨日の事のようにも感じます。

震災当日、会社から40kmほど離れた自宅に必死に帰りました。

ただ、いったいどこを通ったのか全く思い出せませんでした。
いままで、何回か足取りを追ってみたのですが、やはりわかりませんでした。

本日、少しだけ帰路がわかりましたので記録しておきます。

やはり、あの時にかなりの衝撃をうけたのは小高町の商店街でした。

3年という月日を感じました。すっかりきれいに片づけられていました。
ここの空き地がきっとそうです。
あの日、大きな木造の民家がぺちゃんこになっていて、原型をとどめるのは屋根だけでした。

住民の方は、片割れの自宅に今も住んでおられる様子でした。

商店街も道路自体はきれいに片づけられていました。

かつて見た光景はウソのようです。
塀は道路にこなごなに砕け散っていて、ガレキはひどく散乱していました。

ひと気はなく閑散としていました。通る車もあまりありませんでした。
住民の多くの方は、まだ戻られていないのかな?

ただ、やはり被害は小さくはなかったのだと感じました。

この後、沿岸部の様子を見に行きました。

やはり沿岸部はどこも同じで悲惨です。

まだまだ復旧はなされていないのだと、感じずにはいられませんでした。

ただ、広い空間が広がるのみ。

記憶の破片

残っている民家も・・・。