第一回フィリピン渡航 ( 2017年4月15~17日 )

4月15日の夕暮、ボク達は出逢いました。

周囲はすでに暗くなっていました。飛行機の中は寒いので上はジャージを着ていました。だから特に空港の外は暑かったです。でも、日本の夏のような湿気はなく、割と過ごしやすそうでした。

ダバオの空港から外に出てみると、彼女は家族と一緒に出迎えてくれていました。

彼女の最初の印象は小さい!

身長150cm程度しかないので、とても小さいです。日本だったら子供くらいの背丈です。
でも、顔つきは日本人とは違って彫が深くて大人っぽいです。身長は小さいけど顔は大人っぽくて、妙に違和感は感じましたが、かわいいです。
特に、歩く姿がちょこちょこしていて、なんだかやはりかわいいと思いました。

ボクは少し恥ずかしくて、あまり顔もまともに見ることはできませんでしたし、英語も話せませんので、ほとんど無言で荷物を押しながら、みんなで宿泊施設のマルコポーロホテルに向かいました。

彼女はボクの後ろに廻ってわずかに背中を押してくれていました。

宿泊するホテルでは彼女と、彼女のお姉さんとの交流をしました。
お姉さんは若い頃、日本に住んでいたということで、日本語がとても流暢です。通訳をお願いしました。でも、やはり言葉による彼女との意志の疎通はあまりできませんでした。それでも、言葉はなくてもやはり何か通じるものがありました。
不思議と一緒にいると、とても幸せな気持ちになりました。

その日の夜に話した内容は今は正直あまり良く覚えていません。

ただ、言葉は通じないし、ボク自身も恥ずかしくて何もできない、このままではダメだと思いました。わざわざフィリピンまでやってきた意味がないと。
だから、今日、実際に会ったばかりではありましたが、彼女にはできるだけ本当の彼女になってつもりで接することに決めました。歩くときは手をつないで歩く、車に乗る時は彼女の肩に腕を回すことに決めました。

そしてその日の夜は当然、彼女とお姉さんは同じホテルの別の部屋で過ごしました。

次の日は松橋が彼女の家で「ボランティア」をやるということで、彼女の家に行きました。午前中は松橋が食材を買い、午後は近所の子供たちに無償で食べ物を提供していました。

ボランティア自体はとてもいいことです。でも、今考えると、松橋はどんな気持ちでボランティアをしているのか、ボクには理解できません。つい昨日までの渡航でわかったのですが、彼はフィリピンに何人もの彼女がいて、ある彼女との間には子供も作ったのに、世話をしていないとのことでした。彼女も話していましたが、外側は良い人、でも内側は極悪な人間です。
ボクには彼の考えは理解できません。

彼女の家には、家族みんな来ていました。お兄さん3人とその家族、お姉さんの家族、それから彼女の妹と独身の若いお兄さん。

言葉は通じなくても片言の英語と身振り手振りで、なんとなく意志の疎通が図れました。

そして、その日も忙しく過ぎていきました。

次の日はボクはひとりで日本に帰国する日となりました。

彼女とお姉さんと松橋と松橋の「現地スタッフ」はマニラで必要な書類を取得したり、結婚式の準備をするとのことで、しばらくマニラに滞在することになりました。

ボクは彼女達がしばらく滞在するというマニラのホテルまで一緒でした。彼女たちが宿泊の手続きをし終わったら、空港まで行って、そこで今回の渡航での交流は終了することになりました。

マニラのホテルのロビーで宿泊の手続きをしている時のことでした。彼女は別れに際して泣いてしまいました。そして、ボクも泣きました。

たかだか数週間のメールでの交流と、実際に数日間遭っただけですが、お互いの絆はとても深まっていました。

別れはとても辛いものとなりました。

帰りの飛行機の中でボクは彼女に一通のメールをしました。
「結婚式ではキスをしないといけません。でも、あなたとわたしは背がとても違う。だから練習をします」と。

そのメールを送ったところ、彼女からの返信がありました。

「わたしはキスをしたかったけど、あなたはとても早く帰ってしまった」と。

確かにそうなのです。ボクは別れが辛かったから、彼女の頭をポンポンとして、すぐに空港に向かってしまいました。

でも、彼女の気持ちを知ることができて、ボクはとても嬉しかったです。

 

そして、そのあと最悪の2週間が始まることになりました。