人の考えは千差万別です。
ある人がいいと思うことでも、ある人にとっては不愉快だということもしばしばあります。
これからのつぶやきはボク個人としてのつぶやきです。
反対意見、違う感じ方の人も多いかと思いますがあえて書きます。
長い歴史の中で自然災害は人が避けられないものとして立ちふさがってきました。
それでも人は治水工事をおこない、地震も予知しようと災害と必死に戦ってきました。
昔よりは洪水も減り災害で人が死ぬことも少なくなったに違いありません。
たとえば、自分が若いころ住んでいた墨田区はゼロメートル地帯と呼ばれ海面下の土地がほとんどです。
それでも堤防を築き人工的な河を作り河が氾濫したり洪水になったりすることはなくなりました。
少なくともボクが生きている間に洪水に見舞われたたことは1度もありません。
それでも今回の地震では多くの方が亡くなりました。
家族をなくした方はきっと、災害だったから仕方がなかったんだとは割り切れないはずです。
何で自分の家族やペットは死ななければいけなかったのか?怒りや悲しみの気持ちをどこにぶつければいいのかと感じているに違いありません。
きっとそれは当事者のみが知る計り知れない感情だと思います。
では、原子力災害で非難を余儀なくされている人はどうでしょうか?
今回よく聞いた言葉は原発災害は人災だということです。
自分は昔から東電は好きではありませんでした。
小さな町にあんなに大きな会社が来て残した負の財産も計り知れません。
死んだばあさんがよく言っていました。
昔は東電があった山ではきのこや山菜がたくさん採れたのだと。
でも東電ができてそこでは山菜採りはできなくなりました。
きっと、ある人は山なんかいくらでもあるのだからそっちで採ればいいんじゃないと言うかもしれません。
でも本当にそうなのでしょうか?
小さい町なので国道6号線も1車線しかありませんでした。
なのに毎日東電へと大勢の人が仕事に向かいます。
朝は東電の前を通過するのに20分はかかりました。
もし楢葉町から原町に通う人がいると第1と第2の前で渋滞に巻き込まれて計40分は失います。
人の1日の生活から40分が問答無用に奪われます。果たして納得できますか?
小さな田舎道も抜け道に使われれば毎朝毎朝 東電で働く若者がスポーツカーや高級車をかなりのスピード走らせ危険地帯へと変化させます。
ペットも跳ねられ人だって危険を感じます。実際ボクの家の前がそのような状態でした。
実際に東電で働いている人はそんなことは考えなかったに違いありません。むしろある人は東電が多くの人に働く場を提供してきたんだからそれは仕方のないことだというかもしれません。
でもうちの家族は誰も東電で働いておらず何も恩恵は受けていなかったので客観的に考えられたのかもしれません。
それでもある人にとっては東電で働けなかった者の ひがみ と受け取られたかもしれません。
事故前は多くの人が原発は安全だと言い張っていました。
チェルノブイリの事故もあったものの日本の技術は世界一だから安心だ、飛行機が落ちる確率の方が大きいのだと。
でも結果はこのようなものです。はっきり言って、あきれかえります。
昔から自分たちのように何も恩恵を受けてこなかった者からすれば今回のことはただはらわた煮えくり返る出来事です。
最近よく思い出します。
春から初夏には田んぼでカエルが鳴いて大合唱でした。うるさいと感じたことはありません。むしろそんな自然環境が好きでした。
夏にはよく雷雨もありましたが、自分は雨も雷雨も嫌いではありません。家の中にいれば雷雨もまた一興です。
梅雨時期でも部屋の中から庭をながめながら読書をするとなんとも心が落ち着きました。
秋の紅葉もいいですよね。少し車を走らせた川内村には本当に紅葉がきれいな場所がありました。
天山の湯という温泉もあり週末はとても多くの人が温泉に入りに来ていました。
冬も小さなころは稲を刈った後の田んぼで凧揚げをしたりして遊んで記憶もあります。
母親も老後を穏やかにすごし、自宅の隣の小さな畑で自分たちが食べるくらいの野菜をつくっていました。
またそれが楽しみでもあったようです。
近所の人からナゴヤコウチンをもらいました。
ナゴヤコウチンは鳥としてはとても懐くのですよ。母の後ろをついて歩いていました。トットコさんと名前をつけていました。
こうした穏やかな日々が原発事故で奪われてしまったわけです。
1度目の帰宅でもトットコさんの小屋は破壊された後できっと野生の生き物に食べられてしまったのだと思います。
怒りを感じないわけがないとおもいませんか?
ペットのしま次郎も以前行方不明です。
もうきっと死んでしまったでしょう。
生き物の命はお金では買えません。それはわかっています。いくらあがいてももうきっとみつかりません。
東電へは 「お金」 として損害を請求するしか道はありません。何もしなければそれも納得いきません。
でも東電はペットは損害賠償に含まれないと言い続けています。
ようやく最近、損害賠償紛争解決センターを通じて賠償金をもらいました。
たったの5万円です。
あんなにかわいがっていたのに。その命が5万円ですよ。命はお金で代えられないのはわかってはいても納得いきますか?
似ている猫がいると聞けば仕事で疲れきっていても週末を使って宮城県から埼玉県や福島県に見に行き、NPOの人にお願いして自宅に捕獲機を置いてもらって、時には自分たちも見に行ったりして。
時間もお金もたくさん費やしました。そうした事情を話してもたったの5万円です。
自分たちは東電に何をしてもらったというのでしょう?なぜこんなに苦しめられないといけないのでしょうか?
自分たち兄弟が18歳になったとき、母がそれぞれに中古車を買ってくれました。
そのためのお金は、父親は今もそうですが給料はほとんど酒に使ってしまって貯金もありませんでしたので母がパートなどして貯めたお金でした。
僕はホンダのインテグラを買ってもらいましたが、数年前に事故でオシャカにしてしまいました。
駄目にするまではとても大事にしていました。
兄はトレノを買ってもらいました。でも結婚するからと自分のところに置いていきました。
自分はそれに乗っていました。
非難する時、母の車で非難したのでトレノは置いてきました。
確かに何回かは一時帰宅の際に持ってこれたのですが機会を逃してしまいました。
いざ持ち出そうとしても最近は持ち出せなくなってしまって、東電に問い合わせても廃車にしてくださいと言うのみです。
いくら古くたって思い入れのある車をそう簡単に廃車にできると思いますか?
廃車にしたとしても中古車市場の価格しか出さないということなので、賠償金をもらったとしても本当に二束三文です。それで納得いきますか?
ふるさとで心穏やかに亡くなりたいと思うお年よりは多いと思います。でも最近は仮説住宅で息を引き取る方も増えていると聞きます。
あと4年ほどは帰れないのでしょうか?
多くの人が穏やかな毎日も、生きがいにしていた仕事も奪われてしまいました。
2013年5月。エンジンが駄目になっていて、結局廃車になりました。