母が正月前から体調を崩していました。
もう3週間になりますが、その間ずっと本人は風邪と言っていました。
でも、なかなか良くならず、むしろ悪化していたようです。階段の上り下りすら息切れして辛いとのことでした。
昨日ようやく病院嫌いの母も病院に行く気になったようです。
だから、今日は訓練校を休んで仙台市立病院に一緒に行きました。
レントゲンや肺の機能の検査をしたようです。
そして、結果は「がんの恐れがある」ということでした。
2年前の出来事が鮮明に蘇りました。早朝にわずかに血の混ざった痰が出て救急車で運ばれた、あの時のことが。
また、別の日にCTを撮ります。
帰りに、親子して かっぱ寿司で遅い昼飯を食べました。
しかし、食べている最中にとめどなく涙がこぼれてしまいました。
母はオヤジがアル中だからとても苦労してきました。それにボクは随分かわいがってもらったので。
穏やかな老後の生活さえも東電に奪われてしまいました。
それを考えたらすごく無念でたまらなくなってしまいました。
今日は、もう何も何も手につきませんでした。
もはや、母は再び富岡町に帰ることはできないのだろうか?
次の仕事の内定はもらっていますけど、断るしかないのでしょうか?
仕事よりも母のことが心配です。
でも、仕事をしないと生活は成り立ちません。長期戦になればなるほど費用もかかります。
一体、これから、どうしたらいいのだろうか?